鴻鵠の志

 秋も深まったある日、関西へ巣立っていた卒業生Kくんから、久しぶりに教室へ伺いたい、と連絡がありました。二つ返事で迎えることになったものの、指折り数えて『確か、今年度は大学院1年だったはず。この時期に改まって何だろう?研究対象だと聞く中国へ留学へ行ってしまうのかな?』と、見当もつかないにわかの訪問をお待ちしていました。

 若々しく一層立派な青年となったKくん、久しぶりだね〜前に来てくれた時は大学1年だったから4年ぶりね?!と再会の感激も束の間、開口一番「就職が決まりました!」との想定外の嬉しい報告でした。「え?再来年の院卒業で、もう内定?一体どちらへ?」と聞きたいことが矢継ぎ早に我が口から飛び出してきます。

 腰を落ち着けて事の次第をお聞きしました。まず、専攻の中国史に直接関わらないものの、古来我が国屈指の交通の要衝として名を馳せる某市の、市立歴史博物館に学芸員として採用されたとのこと。かの地は、私個人にとって格別思い入れが深くせっせと通う場所で、私には雲上世界、ひたすら憧れるばかりの博物館なのです。しかも、よくよく聞けば、同館での学芸員採用自体が10年ぶりで、大学院1年目というハンディにも拘わらず並居る14人もの競争者を蹴落とし、さらに残り1年の大学院での研究も続けて良い、と異例の待遇を受けての採用と相なった次第でした。

 「おお〜文字通り、10年に一人の逸材、と認められたのだね!!」「歴史好きは世に多いけれど、歴史で食べていける研究者なんてほんの一握りでしょう!」「ましてや、日本史の数々の舞台となってきた某市の歴史博物館を仕事場にできるなんて、素晴らし過ぎる〜!」とまあ、私は恥ずかしいくらい舞い上がりっぱなし!何と、今後のがんばり次第では、奈良や京都などの国立博物館への移籍も夢ではないそうです。絶句しました。

 彼に初めて会ったのは、エコル・ア・パンセが誕生したまさにその週のこと。まだ中学3年生、高校進学を間近に控えたKくんでした。今思えば、その頃から歴史を終生の生業にしようと、鴻鵠の志を抱いてこの小さな教室で学んでくれていたのですね。燕雀たる私には、何も見えていませんでした。嗚呼、男子三日会わざれば刮目して見よ、と(前にもこのブログに書いたような気がしますが)まさにそんな感じでした。某市博物館が一般参加OKの発掘調査をするときは、漏れなく呼んでね〜、と約束してもらい短い邂逅の別れを惜しんだのでした。

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