自分と向き合って闘ったのだから

  2021年春の諸々の入学試験がほぼ終了しました。まだ最終結果待ちの受験生もいますが、みな新たな進路が拓かれたので、長期間見守った側として正直ほっとしています。

 受験体験というものは、子どもにとって成長の過程で避けるべきではない試練だと思います。ですが、それを何歳で経験するかは、精神年齢の発達ぐあいや、ご家庭の生涯設計、交友関係やきょうだい関係など、様々な判断要素が絡み合い、「中学受験が良くて高校受験は良くない」「いや、その逆だ」「エスカレータ式入学が良い」「いや、良くない」などと一律に断言できるものではないと思います。

 長年、受験の諸制度と密接に関わってきたものとしてもっとも声を大にして言いたいのは、子ども自身がその試練に立ち向かうのにふさわしい自分であるかどうかについて、悩み迷った末に決断することが、尊重されるべき第一だということです。というのも、「周囲がそのようにするからウチの子にもそのようにさせてやりたい」といった親御さんの親心が、お子さんの先々の人生に必ずしも良い影響を及ぼすとは限らない、という報われない現実をいやというほど見聞きしてしまっているからです。逆に、子ども自身が、成長過程における適切な時期に適切なサポートを得て受験を乗り越えていく、という場合には、受験後の心身の成長ぶりには瞠目させられ、頼もしい姿に社会の一員として素直に喜べることが多いです。そういう若者に共通して言えることがあります。それは、受験期のどこかの段階で、彼ら彼女らが自分自身と向き合い、その内なる自分自身と闘うようになった、という雰囲気をまとうようになることです。受験生は大なり小なり、応援してくれる親御さんへ気遣いはしますし、友人との関係性も常に気には掛けています。ですが、今はそれを考える時期ではない、自分がなすべきことは今はこれだ!という無言の決意を感じさせてくれるのです。そこまで至った彼ら彼女らは、自分にとって最適な挑戦校を選べるようになっていますし、倍率など運も左右するその結果がどうであれ、すべてを堂々と受け止めることができるまでに成長しています。

 今年も受験という名の闘いは終わりました。ここを巣立つ彼ら彼女らが、自分と向き合い苦しみもがいた経験を糧として、次のステップへ胸を張って進んでくれることを心から確信しています。

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