ボタンの掛け違え?

 今年も、はや2ヶ月余です。様々な出来事がありましたが、最悪の出来事はやはり、ロシアによるウクライナ侵攻でしょう。核戦争の脅威も絵空事ではない緊迫した状況です。エネルギー資源、食糧始めあらゆる価格の急騰も、これからの私たちの暮らしに直接暗い影を落としています。また、日本特有の課題として、行きすぎた円安、それも米ドルだけでなくアジア新興国通貨に対しても全面安である状況をどうするのか、があります。このままでは、家計はじり貧、海外からの働き手はいなくなる、など私たちの基本的な生活が立ち行かなくなってしまいそうです。
 ひょっとして、いや、間違いなく日本は、JAPAN as No.1だった頃から30数年、国内に溜まった社会矛盾を解決する力のない衰退しつつある国だと世界的に見られているのでしょう。そもそも、森羅万象何であれ、繁栄があればその後衰退します。歴史学も生物学も、おそらく天文学も、それを当然の理としているだろうと思います。持続には多大なエネルギー注入が必要だからです。
 しかし、仮に日本国の衰退が必然だとしても、その中で生まれてくる新しい命まで衰退の運命を背負っているとは思えません。子どもたちを衰退の色に染めてしまわない教育が肝心です。教育の現場から出される各種データを見ると、小学校受験や中学校受験に奔走する家庭と、過熱競争を諦めて低学力に甘んじる家庭への二極分化が懸念されます。また、高校入試や大学入試においても、一般入試から推薦入試へと荷重が変わったことで、国全体として学力育成不足が危惧されます。
 ここ30〜40年間に公教育でも塾業界など私教育でも、少子化の中で生き残りをかけてやってきた様々な改革や取り組みは、一体なんだったのか、もしや、世界的に見てボタンのかけ違いだったのではないか、と自戒を込めて省みる冷静さと、ボタンを一旦全て外してみるような価値観の転換が、今必要ではないでしょうか。
 

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