【義務教育と主権者教育】

日本の首都の知事が「セコい」という理由で吊るし上げのような様相で、任期を1年半以上残し都政から退場となりました。とあるTVのインタビューで「もっとちゃんとした人かと思ってた。私、あの人に投票しちゃったんだよねー」とあっけらかんと大笑いする都民の女性の姿が映りました。「ちゃんとした人」とはどんな判断基準だったのでしょう。それを知る由もありませんが、前知事の不祥事をうけての知事選だったにもかかわらず、知名度のある人物同士の人気投票のような首長選挙だったのでしょうか。

私たちはもちろん主権者ですが、義務教育の中でその意味を深く学ぶことも顧みることもあまりなかったと思います。科目「歴史」を学んだ、科目「公民」を学んだ、でも一票の重みを感じて主体的に行動することには結びつかない。義務教育の目標は次世代の主権者を育てることにあるはずで、従順に働き納税をする働きアリ的国民や卵を生むだけの女王アリ的国民を育てることではないと思います。

物事のあり方の本質を考え、ときには既存の考えを疑いもする批判的精神をも宿した国民同士が、自らの利害関係をひとまず置き、諸課題について選挙で選んだ代表者を通じて十分議論しあって維持していく国。そんな、面倒だけど大切なプロセスを尊ぶ政治とは、しょせん絵に描いた餅にすぎないのでしょうか。18歳以上の若者たちが手にした参政権。まず来月の参院選でどのように活かされるのか、それとも活かされないのか、この国の未来を占う気持ちで見ています。

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【参議院選挙を終えて】