争いの果てにある愛
ロシアによるウクライナ侵攻から3年、昭和11年の2.26事件から89年、また春が巡ってきました。中学や高校で歴史を学ぶとき、古今東西人類が飽くなき争いを続けてきたことに驚かずにはいられません。幸い日本は国レベルの戦争から遠ざかっていますが、それもまだほんの80年間足らずです。やられたらやり返す。子ども同士の些細な行動を見るまでもなく、それは動物の本能なのだろうと思います。でも、やり返したらやり返される、仕返しの応酬ではいつまでもきりがありません。和解が成り立たなければ、劣勢に降参したり、争い状態に懲りたり飽きたりしない限り、不毛で絶望的な状態が続いてしまいます。
歴史で同じく学ぶ、インドのガンディーの「非暴力・不服従」とは、愛と自己犠牲によって相手のほこ先を鈍らせ、争いを終結に導くという思想です。「仕返し」が本能なら「愛し合う」も本能でしょう。かつてジョン・レノンが高らかに歌った「愛」を拡散させる営みを、「愛」が「争い」を凌駕するまで、多くの人間が辛抱強く続けなくてはならないと思います。
そして、「愛」の対義語は「無関心」ですから、争いの当事者でない立場では、無関心をこそ警戒しなくてはなりませんね。