共通テスト・英語改革の挫折

 この度、大学入試共通テストにおける2025年からの記述式問題および民間試験の導入が、正式に断念されました。当初から拙速に突き進んだ導入への動き。「読む・聴く・書く・話す」の英語4技能向上という狙いや目論見はともかく、実現可能性面での検討があまりにずさんだったとしか言いようがありません。大山鳴動して鼠一匹、、、であれば少しぐらい得られたものがあったでしょうが、完全撤回なので全てが無駄に終わり、得られたものは苦い経験だけというお粗末な顛末でした。いや、戦争でも五輪でも一度始めたら泥沼に陥っても止められない国なので、直前に土壇場で停止したという点では、国として稀なる経験ができた、と評価できるかもしれませんね。翻弄され続けた第一回受験生たちは、呆れながらも淡々と受験をやり抜いてくれたのがせめてもの救いでした。長年少なからぬ税金を投じての失策、これは納得いかずとも国民全体が甘受しなければなりません。お気の毒なのは、多大な投資をして民間試験を新設・改変した組織の関係者です。そもそも、文部科学省の天下り組織拡充の一環として計画されたのでは、とのささやきもありましたが、共通テストに採用されなければ受験者を集めることもできそうにない民間試験組織がたくさんあります。それらが被った損失は一体どうなるのでしょう。おそらく、究極的には税金で補填される、つまり、国民がかぶるのでしょう。

 とはいえ、ことはお金の問題だけではないのです。4技能試験へまっしぐらの新学習指導要領により、突然小中学校での英語科の内容が質量ともに激変してしまいました。しかも、学校現場では授業・試験共に従来とあまり変わらない方法が継続されているため、いきなり膨大な量の正確な綴りでの筆記力を求められる校内試験を受けなければならなくなってしまった新・中学1年生たちは、まさに犠牲者といえるでしょう。つられて、小学生への英語教育がますます過熱しそうです。

 新たに得させたいものがあるのなら、捨て去るものもなくてはなりません。あれもやれ!これもやれ!では、ただでさえコロナ禍で傷ついている子供たちを潰すことになりかねません。国の施策での挫折を、子どもたちの挫折に連動させてはいけないのです。学校英語教育の現場での断捨離が急務です。少なくとも「曜日・月・数字」など読めて理解できれば十分な英単語群について「正しい綴り方」を強いる真似は即刻やめていただきたいものです。

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