トップリーダーへ望むもの
名古屋市より人口の少ない小国エストニア。首都の旧市街地は世界遺産でありながら、近年では、電子国家としても知られるようになっています。中世の面影を伝える首都タリンは、まるでテーマパークのような美しさだと、家族旅行(私を除く)で訪れた家族たちからいっぱい聞かされました。そんな、ただでさえ素晴らしい国なのに、なんと、女性である大統領(ケルスティ・カリユライドさん)に続き、首相にも女性(カーヤ・カラスさん)が就任したということです。政治家としては若い女性二人が国のトップリーダーであるということは、かのジェンダーギャップ指数最低ランクの日本国民として、ひたすら羨むしかないです。それを自然に受け止める市民の意識も羨ましい。ドイツのメルケル首相もニュージーランドのアーダーン首相も、台湾の蔡英文総統も女性ですね。コロナ禍で比較的政治主導の対策がうまく行っているところです。政治への信頼度も高く、一丸となってコロナに立ち向かう機運があるのかもしれません。女性が関わる比率が高く男女のバランスがほどよく取れている集団では、物事が調和的に落ち着くというのは経験上よくあることです。
翻って、日本では明治以来一貫して総理大臣は男性です。今、対抗勢力のナワリヌイ氏を監禁し問題となっているプーチンロシア大統領も、突然のクーデターで政治権力を掌握したミャンマーの軍事政権トップも、長年世界に不安の種を撒き続ける北朝鮮の金正恩委員長も男性です。批判を嫌い、独裁を狙い、権力とは本来容赦ないものであることを見せつけるのに十分な顔ぶれです。独裁でなくとも、力不足の御仁、勘違いの御仁が最高権力を握るのも、国の分断を深めてしまったアメリカ前政権を見て感じるように罪深いものです。
トップリーダーによって、国民の幸福度ははかり知れないほど大きく左右されます。であれば、その人に望むのは、民への温かいまなざしと差し伸べる血の通った手でしょう。リーダーを、あるいはリーダーを出す政権党を、民主的な選挙で選べる社会体制であるのなら、それを選ぶ側の私たちも、国全体の将来を考えに考え抜いて投票行動しなくてはならないと痛感します。激変しゆく世界に、高齢男性中心に惰性で進んでしまっているかのような日本の現政権を危惧します。