【大学の学費をどうするのか】

最近かなり知られるようになった、大学生の奨学金をめぐる悲劇的な現状。経済格差拡大や子供の貧困増加の問題と並んで私たちの社会に暗い影を落としています。

すでに大学全入時代から大学淘汰の時代に推移しているとされ、あちこちの大学が生き残りをかけてあの手この手で入学者の確保に努めています。間口が広ければそれだけくぐりやすい門であるわけで、高等教育を受けるに適した基礎学力を身につけていない高校生までとりあえず大学に行く、という時代が長く続いています。

ところが、ここが落とし穴で、本来ならば学力水準や経済水準からは高卒社会人として技能職やサービス職として社会や家庭を堅実に支えるべき層も、やすやすと大学入学資格を得、貸与型の奨学金を受けながら(実態は学生ローン債務を積み重ねながら)大学へ通えてしまう。そして、新卒就職できてもやめようものなら即返済困難となり、その先は無間の経済地獄が口を開けて待ちかまえています。つまり、この国では大学進学自体がもはや経済リスクを孕む時代になってしまったのです。

あまり、知られていないようですが、家計の可処分所得の減少に伴い経済的困難を理由とする中途退学者も増えています。以降、高卒者として扱われ、奨学金債務者として扱われ、高給を望めない就職を余儀なくされ、、、これでは結婚・出産への夢も希望もなくなるのは当たり前です。最悪なのは、能力が高く未来社会に多大な貢献をできるはずの学生が、学問研究の場から経済的事情で途中退場に追い込まれる事態です。

解決策として、給付型の奨学金の拡充がありますが、票になりにくいからなのか先の参院選でも結局政策課題とはなりませんでした。他に、大学自体や定員を減らすことも真剣に議論されるべきですが、大学経営も経済行為とされるような新自由主義主流の世の中では、規制緩和がありこそすれ、規制強化は難しいでしょう。

しかし、社会の未来を考えるなら、やはり教育への公共投資をケチっている場合ではないと思います。再分配の機能を最大限に活かして、若者の資質や志望コースに合わせた無償教育システムを幾通りも整えること、これが先に社会人になった者たちに課せられた義務ではないでしょうか。

 

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