【己の職責に全身全霊で】

先日、天皇から国民に向け「お言葉」がありました。その中に、「象徴としての務めを常に全身全霊でやってきた」と確信に満ちた発言がありました。その様子を観て、では私自身は自分の職責に常に全身全霊であるのか、とはっとさせられました。そんな折も折、リオ・オリンピックでの男子体操個人総合競技で、金メダルを当然視されていた内村選手が絶望的としか思えない得点差を広げられたにも拘らず、最後の最後まで自分のやるべきことを果たし、奇跡的に金メダルを取り戻しました。私は、ここにも全身全霊で自分の使命を務めている人の姿を見た思いでした。どちらにも共通だったのは、信念を持って行動し続けてきたことに対する揺るぎない自負とそれがもたらす帰結が、他者の心を激しく揺さぶるという点だと思います。

これほどまでに長期間、他の誰も替わり得ない重責を担って来、そして、その職責を託すにふさわしい後継者が育ってきたと安堵できるとき、人間として、というより、生物として世代交代して良いというのは、当然過ぎるぐらい当然の自然の摂理と言うべきでしょう。内村選手が「東京五輪ではもう個人総合には出たくない」といったのは、白井選手や加藤選手という後継者を得られての安心感ゆえと思います。さらに言えば、全身全霊で務めを果たした人へ周囲が花道を用意することは、思いやりのある温かい社会においてはマナーですらあるのではないでしょうか。

確かに歴史を見れば、特別な権威を有する存在の周囲にその権威を良くない方向へ利用する動きが出てくることがわかります。だから、それを警戒して天皇の地位を一義的に終身制としておくことは極めて有効な防止策と言えると思います。しかし、どんなに高齢であっても厳しい職責を伴う地位を生涯現役で、と強いることは人道上看過できない問題ともいえます。とはいえ仮に、退位について曖昧に規定がなされれば、運用次第で想定外の事態も生じるでしょう。だからこそ、一義的で恣意を挟む余地を与えない規定を設けることが肝要です。自然科学分野では、一義的で恣意を挟む余地のない普遍性を有する定義付けはむしろ当然ですから、皇室典範という法律においても、知恵を絞って一義的で厳格な文言により生前退位規定を策定することが不可能とは思いません。

皆で知恵を絞って、時間の猶予のないこの課題に対し全身全霊で取り組み速やかに妥当な解決を図っていく、これが主権者たる国民に与えられた今の職責だと考えたいです。