こどもに見せたくないおとなの都合

エコル・ア・パンセの教室には毎日、大手新聞社のこども新聞とおとなの新聞が届きます。関心を持つのは主に小学3、4年生です。お気に入りの記事や4コママンガを切り抜いてはノートに貼ったり、記事を写し書きしたり。教室から受験生のお兄さんお姉さんの姿が消えた分、遠慮なくガサガサゴソゴソ盛大に音を立ててはせっせとハサミを動かしています。

昨今では、スマホがあるからと新聞購読をしないご家庭も多いですが、紙の質感、インクの匂い、紙面構成のしくみ、配ってくれる人が折りたたんだ跡などなど、新聞紙からいろいろな感覚を捉えることも結構大事じゃないかなと思ったりします。

新聞を見せて困るのが、説明に窮するおとなの世界でのできごと。子どもにはズルいことしないようにと日々戒めている立場で、連日紙上に大きく取り上げられている財務官僚による公文書の改ざんや虚偽の疑いが濃厚な国会答弁について、子どもたちに何をどう説明したらいいのやら、本当に困り果てます。

確かに、役人には役人としての行為規範が、政治家には政治家としての行為規範が、マスコミ人にはマスコミ人としての行為規範がそれぞれあるでしょう。しかし、もっとも本質的な行為規範はもっと素朴なことだと思います。それは、子どもにちゃんと説明できること。子どもに伝えることをいつも念頭においたら、おとなとして迂闊な言動や私利私欲のための行動は自ずから慎まれるはずです。それが、子どもに対するおとなの社会的責任というものではないかと思います。

教育改革・大学入試改革が急がれており、そのあおりで塾現場では中学受験志向が過熱気味と思えるほどになっています。でも、子どもの一生を左右する公教育のあり方が、ちゃんと子どもたちに説明できるものであり納得してもらえるものでなければ、「改革」は全くの方向違いといわざるを得ません。誰のための改革なのか、誰かの都合のための改革ではないのか、おとなが社会的責任を自覚して冷静に向き合わなければ、この国の公教育の迷走は当分続いてしまうのでしょう。