【一億総活躍社会とは、女性活躍社会とは】
これらのフレーズが世に登場してからそれなりに時間も経ちました。その間、ブレグジットの責任を取った交代劇で英国首相が女性に替わったり、突然の首都知事選で女性都知事が誕生したりと、現実世界での女性の役割にめまぐるしい動きがありました。来たるアメリカ大統領選の結果を待つまでもなく、女性に期待されるリーダーシップがとうとう世界の動きを直接左右する地位にまで達した、と言える時代が来たのでしょう。
しかしながら、そもそも、英国ではキャメロン前首相の国民投票に対する見込み違いだった、東京では舛添前知事の公金使途問題だったという経緯からは、男性側の失策でたまたま空いたポストへ、政治的にしがらみが少なめだった女性がタイミングよく滑り込んだという出来事、との見方もできると思います。まず、男性ありき、でダメになったら女性でも、、、のような感を拭えません。
働いた経験を持つ 20~59 歳の女性を対象に2014年になされた電通総研による調査http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015031-0330.pdf)で、有職経験有の女性の約8割に離職経験があり、また全体の8割に働きたい(働いていたい)意向がある反面、全体の9割以上に管理職志向がないことも示されました。つまり、一旦離職してキャリアを失った(失うリスクを含み持っている)以上、負荷の大きい管理職に就く意欲を持つことができないということでしょう。この結果が、普通の男性における就労状況とはまるで異なることは実感として明らかだと思います。そしてまた、こういった意識が共有される中で「女性が活躍」する社会が実現するとはちょっと想像しがたいです。では、女性の活躍を推し進める日本でこのような結果が示されたことには、一体どのような事情が介在しているのでしょうか。
「日本、死ね」ブログ論争が象徴的だった「保活」すなわち保育園入園可否をめぐる苦労があったり、「マタハラ」すなわち妊婦への職場での嫌がらせが横行したりと、日本女性の就労環境は未だ良好とは言えません。職場と家庭の間で孤軍奮闘し疲弊し切った女性たちの「惨状」を見聞きしてきて、真の意味での「活躍」をあきらめた層がかなりの割合で存在しているのだろうと思われます。また、男性側の意識も「OLさんはコピー・お茶汲みから」だった時代と大して違いがないのでしょう。男女ともが「女性の就労はそこそこで良い」と考えざるを得ない状況や、そこそこしか期待できない・期待されないという意識、そういったものの長年の堆積がこの結果なのだと思います。
それならそれでいいじゃないか、外国などの真似をして女性管理職の比率を上げることなど必要はない、と考えることもできるでしょう。ですが、人口減のこの国で、少なくとも意欲も能力もある女性たちを埋もれたままにしておける余裕なんてないはずです。現在の出生率では「一億人」の維持すら怪しいものです。となれば、「一億総活躍社会」も「女性活躍社会」も、ともに画餅に終わる可能性は大でしょう。ですから、「女性起用」「男女参画」は理念ではなく、切羽詰まった日本にとって現実的な解答であるという認識の浸透が、喫緊に必要だと考えます。