大きな流れの中で

年度末が近づきました。この教室でも卒業生たちが去り、定位置にいた人たちのいない寂しさを感じます。同時に、新入生を迎えいれる準備で緊張感も高まります。ただでさえ変化の激しいこの季節に、いっそう慌ただしさを加えるのが桜ですね。古人も詠みました、「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と。桜が存在しなければ、もう咲いたかまだ散っていないか、といった気がかりもなくのんびりした心持ちで春を過ごせるのになあ、と仮想することで、日本人の桜への強い愛着を詠んだ代表的な和歌です。私も好きな一首です。今頃あそこではあの桜が咲いているかと思うと、確かめに行かずにはいられないような焦燥感に駆られますが、そういう気持ちは古人と同じだろうと思います。

この春も、昨春に続き、桜の名勝地訪問や花見の宴には自粛が求められています。枯れるまで、倒されるまで桜は毎年変わらず咲く。でも、それを眺める人間側の都合が変わりました。時代が大きく変わったことを痛感します。大きな変化は大きな流れ。徒らに逆らえば身を滅ぼすことになりかねません。流れが変われば今まで安全地帯だった部分が安全ではなくなったり、通れていたところが通れなくなったりします。昨日の常識は今日の非常識かもしれません。大きな流れの本流を見極め、自分の判断力で臨機応変に適応することがより強く求められる時代になりました。その意味でも、日々成長し変貌しながら適応していく子どもたちのしなやかさに学ぶところが大です。