山と持続可能性

毎度の言い訳ですが、コロナ禍で心身の余裕に欠け、久々の投稿となりました。長い間ルーチンとなっていることさえ綺麗さっぱり忘れてしまっている事態も起きるなど、いまだに調子の狂っている自分に驚きます。

さて、つまらぬ言い訳はこの辺にして、短いながらも夏休みをいただき、「山の日」の前日に山歩きをしました。直前に県外移動自粛が要請されたため、目指すは三河の三ツ瀬明神山(みつせみょうじんざん)。縁あって、いつもの山メンバーに加え、運動不足が気になっているという当教室講師のN君(名大3年)、そして、帰省中なのにろくに出かけられずにいる卒業生T君(東工大4年)も参加となりました。ともに登山は初めて、という初顔合わせの二人でしたが、さすがは1999年生まれの若者同士、意気投合し、すぐに山道にも慣れ、息絶え絶えの中年メンバーを尻目にすいすい先へ進んでいってしまいました。難所である鎖場の連続を彼らがいかにして登って行ったのかも見届けられないまま、無事登頂。涼しい木陰でお待ちかねの山ごはん&山デザートに舌鼓を打ちました。みんなの汗だくの笑顔が疲れの癒しとなりました。

思えば、新型コロナによる大学の閉鎖がなければ、N君、T君ともに部活動や学業に忙しく、運動不足に陥るはずもなく長期間の帰省もありえないはずでした。偶然がもたらした、エコル・ア・パンセゆかりの若者たちとの登山は、私にとって意義深いものとなりました。弊社のような零細企業にとって明日をも危ぶまれる異常事態ですが、どうにかして永く持続させ、今いる生徒たちともいつか一緒に登山をしようと希望を抱きます。

ところで、各地の山々には長い間手入れがされず、薄暗く荒れた杉の人工林が広がっています。第二次大戦後、荒れ果てた国土と経済を回復させるために、成長の速い杉が全国各地に植林されたものの、外国木材との価格競争に勝てず、また林業後継者を得られないまま放置されているのでしょう。枝打ちなどの管理が行き届かなければ、保水力もなく花粉をばらまくだけの杉林は、山崩れを引き起こし花粉症患者を悩ませる迷惑なだけの存在です。近年の豪雨で、あっけなく山々が崩れ、河川の流れを塞ぎ、大規模な水害を引き起こしていく映像を毎年のように見ます。林業が産業として持続できなくなったことが、国民全体に計り知れない損失をもたらすことになってしまいました。

生物多様性に欠ける杉林を、多様な樹木の生い茂る「明るい森」(C.Wニコルさんの表現)に変えることはとても難しいです。しかし、国土の持続可能性という点では、これも喫緊の課題のひとつだと思います。実際、山歩きする身としては、ブナや馬酔木などの明るい広葉樹林帯の中では気分も爽やかですが、一様に同じ樹木がまっすぐに並んでいる人工林の中を歩くときは楽しくなれません。森を守る営みが、登山というささやかな楽しみの持続可能性にもつながっています。何が自分にできるのか、自問自答しています。

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