怠けの本質とは?

ブログの更新を何ヶ月もすっかり怠っていました。言い訳はいたしますまい(笑)。子ども達には「継続」の価値を語りながら、自分ではまるで全うできていないことは大いに反省すべきことだと自戒しています。
人間も生き物として、遺伝子にプログラミングされ、デジタルなアルゴリズムに統御されている存在だ、と言ってしまえば身も蓋もないですが、それにしても「怠ける」というのは、そういう不良なプログラミングがなされているのか、それともアルゴリズムの通りに行動できないバグが生じているのか、そもそもわからないところです。多くの方に経験があると思いますが、急ぎの重要な作業が目の前にあればあるほど、その時やらずとも済むことーー小説を読みふける、突然部屋の模様替えをする、手の込んだお菓子作りをするーーを始めてしまうのはなぜなのでしょうか?

キーワードは、「回避」なんだと思います。回避といえば租税回避地(タックスヘイブン)を連想しますが、とにかく、回避することに少なくとも短期的なメリットがある(と思い込む)のではないでしょうか。前の例でいえば、やる意味は大きいけれど心理的に苦しい作業なのでそれを一旦回避して、苦しくはないけど言い訳程度には有意義と言える行動を選択することで、単に怠けるよりも罪の意識を軽くする。そんなところでしょうか(そもそも本ブログ更新がそんな大した作業でないのはわかっておりますが・・・)。とはいえ、その回避は決して合理的とはいえず、そのツケは長期的には計り知れないものがあると言わざるを得ません。租税回避で言えば、節税できた分の金銭的メリットを帳消しにするほどに社会的信用に傷がつく、重加算税を課される恐れがある、など。今般、パラダイス文書ですっぱ抜かれた方々は、今ごろ言い訳を捻りつつ針の筵に座らされた思いを味わっているのではないでしょうか。
悲しいかな、理性は感情には勝てないものですが、目の前の苦しさを回避して怠けたがる感情をどうにかなだめて、苦しいけれど理性の教える合理的行動を実践しなくてはならないと、租税回避とは無縁の身ながら他山の石として、肝に銘じる次第です。